今日も日本革工芸会の打ち合わせでした。今回の革工芸展では、展示とは別に、見に来てくださった方々への販売コーナーも用意されます。2・3千円の作品ですが、みな手作りで、大変手間がかかっています。私はさんざん悩んだあげく、写真のようなブローチを作ってみました。出品作品との関連で、漆を使った小物です。ぜひ手にとってご覧ください。その他、沢山の方々の作品も販売されますので、お楽しみに。
1.どこにあったか?
戸塚安行駅北東側すぐの台地部にあった。ここは大宮台地の鳩ヶ谷支台が細長く突き出した部分で、遠く筑波山をも見渡せる場所。下の地図を参照。緑の空堀に囲まれた部分が城。西側は家臣の家があったと思われる。いずれも台地部にある。現在の戸塚安行駅や戸塚スポーツセンターを見下ろすような位置。弥生時代の遺跡も数多く発見されてい場所。
2.誰がつくったか?
小宮山弾正忠孝という人。忍城主成田氏がつくらせた出城か。小宮山弾正の祖父は太田道灌の親戚。また長男は松平家の養子となり、松平信綱として出世したという。信綱は、老中として活躍した有名な人物。のちに川越城主になった。また「知恵伊豆」と呼ばれ、幕政に大いに貢献。3大将軍家光、4代家綱に仕え、島原の乱の鎮圧、明暦の大火の処理など、政治手腕は高く評価されていた。
※松平信綱に関しては、大久保久継の長男という説が有力。大久保は現在の伊奈町(小室陣屋)の伊奈忠次の配下であった。ちなみに、伊奈氏はこの後、川口市の赤山陣屋に引っ越す。(関東郡代)
3,いつごろか?
1560年、上杉謙信が関東に出兵したころに、小宮山弾正の名が見られるので、このころと思われる。1560年は織田信長が桶狭間の戦いでデビューを飾った年。
1590年に、豊臣秀吉が小田原城を攻め、北条氏を倒し、全国統一を達成。このころ戸塚城も廃城となったらしい。城としてはきわめて短命。
4.発掘調査
埼玉高速鉄道開通が決まり、駅に近く、開発整備が計画された。そこで、川口市遺跡調査会が中心となり、10回の本格調査を行う。平成14年の調査で空堀が発見される。その後も発見が進み、現地で行われた公開説明会に参加したことを思い出す。社会教育課の唐沢さん、金箱先生が説明されていた。今は、戸塚立山公園の斜面林に名残を残すが、面影はほとんどない。
(「続・埼玉の城址30選」などを参照)
すぐ近くの戸塚中台公園に犬を連れて行ってみました。5月の強い日差しのもとで、大きめな白い蝶が舞っています。ゴマダラチョウかな?直感はそうでした。今日出会った数頭はいずれも白っぽい色です。図鑑に載っているゴマダラチョウは色がもっと濃く、斑点も異なります。(あわてて携帯で撮ったので、あまり写りはよくありません。)
そこでもう少し調べてみると、最近、アカボシゴマダラチョウの春型の一種が見られるようになったそうです。色は白っぽく、もともと日本には奄美大島以南に生息していた南方系の種類。それにしても似ているなあと思います。もし、そうだとしたら、地球温暖化と関係あるのでしょうか。
埼玉県越生町からときがわ町にかけて、巨木めぐりをした。
まず、越生町の「上谷の大楠」を訪れた。樹齢1000年、幹周り15m、高さ30mという、関東屈指の巨木だ。根元のあたりが特にすごい。長い間鎮座した者の気迫に圧倒される。ただ、人に見てもらおうと、南側斜面の樹木を切ってしまったせいか、乾燥していて、神秘さにかけるのが残念であった。トトロにでてくる「くすの木」より巨大だ。
狭い道を奥へ進み、山間の集落をいくつか越える。奥武蔵特有の光景、山のまた奥に民家が点々としている。
大附日枝神社に向かった。欅(けやき)の大木だ。樹齢700年、樹高6.4m。新緑がまぶしい。ご神木である。
そして萩日吉神社へ。大杉の木がご神木としてそびえる。その木の真下に井戸のようなものがあり、神聖な水とされていた。この神社では流鏑馬も行われるようである。
ときがわ町は、各地に看板が設置されていたり、公衆トイレが設けられていたり、町おこしの企業努力を感じた。清流を生かしたカフェ、古民家カフェなども面白い。
今日はこどもの日。川口市自然公園に行ってみました。見沼低地にあり、湿地の自然を残した公園です。
周囲には、雑木林などの自然地が残っていることから、公園内にもカブトムシやクワガタが見られ、湿地には絶滅が心配されるメダカもたくさん泳いでいます。個人的にはアカホシゴマダラチョウに出会ってみたいです。
今日は家族連れで、子どもたちの元気に遊ぶ姿が見られました。ザイガニ取り。もうそこらにはいなくなってますね。
五月晴れ。抜けるような空。初夏の陽気。というか夏日。絶好のアウトドアの日でした。
またすぐ近くには東沼神社があります。差間の氏神様です。例年、初詣では甘酒を無料で振る舞ってくれます。今年はうちもお祓いをしていただいたのですが、巫女さんの舞もしてくれました。富士講もあります。地元では自慢の神社です。
連休の大渋滞の中、私は犬と300円ランチを屋外で楽しみました。場所は、見沼通船堀跡です。江戸時代の100年間の間、ここに見沼という水深1mから数mの沼がありました。関東郡代伊奈忠治がここに八丁堤をつくり、川をせき止めて農業用の溜池を作りました。
もともと、このあたりは低湿地で、昔から龍が住んでいるという伝説がありました。竜神伝説については後日紹介します。
1716年、徳川吉宗が8代将軍となり、享保の改革を行います。彼は新田開発に力を入れました。この見沼の地も新田開発の対象となりました。紀州から井沢弥惣兵衛(いざわやそべい)為永により大工事が行われました。八丁堤を切り、水を芝川へ排水します。そして、農業用水を60kmも離れた利根川から引いてきました。これが見沼代用水です。1727年から工事が始まり、翌年には工事が完了したというのが驚きです。
1731年、見沼代用水と芝川では、水位差が3mもあるため、運搬用の舟が通れるように、閘門式の運河を作りました。これが見沼代用水です。パナマ運河と同じようなやり方が150年前に行われていました。
今日は、私の母、丸田弘子宅について少し紹介させていただきます。海外旅行経験が豊富な両親は、世界の様々なインテリアや工芸品を見てきています。そのため、家具についてのこだわりも強く、良いものを長く使うという発想で、気に入ったものを安く手に入れています。やはり、長く使うものなので、気に入ったものがいいですよね。アンティークなものをリペアーすると、驚くほど素敵なものになります。
また、世界各地で購入したグッズも随所に置かれています。バリ風の部屋、北欧風の部屋など、コーディネートされており面白いと思います。
植物の世話、庭の手入れなども全部自分たちでやっているのがすごいなあと思うところです。家は父が設計したものです。(m)
今回はバルト三国を訪れました。ツアー旅行ですが、さすがにこの方面は旅慣れ方が多かったです。他のお客さんとの会話がはずみ、とても親密な関係になれたのが良かったです。また、添乗員さんがとても素敵な方で、大変よくしてくださったことが嬉しかったです。
集合は何と、ドバイ空港。こちらで乗り換え、飛行機は一路ポーランドへ。ゆっくり休む暇も無く、キューリー夫人博物館、ポーランド旧王宮などを見学です。
翌日はリトアニアへ。杉浦千畝氏の旧日本領事館を見学しました。当時領事を務めていた彼は、ナチス・ドイツによる迫害のためポーランドなどから逃れてきたユダヤ系難民たちに心痛めます。1940年7月から8月にかけて、外務省からの命令に反して、大量のビザを発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったのです。彼の勇気ある行動を思いながらの見学でした。
この旅の最も良かった場所は、ラトビアの首都リーガ(リガ)の街並みです。全体が世界遺産となっており、中世の街並みがそのまま残っているといった感じです。しかも観光客はほとんどいないので、静かな中に歴史的な趣をいっそう感じることができました。リガ大聖堂、市庁舎広場、聖ペテロ教会などどこも良かったです。
エストニアではタリン城壁からながめる街並みがとても美しかったのが印象的でした。
そして、旅のクライマックスはバルト海クルーズです。豪華客船に乗り、ストックホルムまでゆったりと時間をかけての船旅。個室も充実しており、ゴージャスな気分を存分に味わえました。
バルト三国は、今はEUに加盟し、NATOにも加盟しています。ですからユーロが使われています。ロシア(ソ連)などの大国との軋轢に苦しんできたこと、民族としての誇りを持っていることなどを感じることができました。
(maruta)