連休の大渋滞の中、私は犬と300円ランチを屋外で楽しみました。場所は、見沼通船堀跡です。江戸時代の100年間の間、ここに見沼という水深1mから数mの沼がありました。関東郡代伊奈忠治がここに八丁堤をつくり、川をせき止めて農業用の溜池を作りました。
もともと、このあたりは低湿地で、昔から龍が住んでいるという伝説がありました。竜神伝説については後日紹介します。
1716年、徳川吉宗が8代将軍となり、享保の改革を行います。彼は新田開発に力を入れました。この見沼の地も新田開発の対象となりました。紀州から井沢弥惣兵衛(いざわやそべい)為永により大工事が行われました。八丁堤を切り、水を芝川へ排水します。そして、農業用水を60kmも離れた利根川から引いてきました。これが見沼代用水です。1727年から工事が始まり、翌年には工事が完了したというのが驚きです。
1731年、見沼代用水と芝川では、水位差が3mもあるため、運搬用の舟が通れるように、閘門式の運河を作りました。これが見沼代用水です。パナマ運河と同じようなやり方が150年前に行われていました。

