6月25日(土)埼玉県の蝶ミドリシジミを観察

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食草となるハンノキ 黒い松ぼっくりのような部分がある
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羽を閉じている時のミドリシジミ
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テリトリー争い「まんじともえ」。お互いの目を見て、回っている。

DSCF1031 mannjitomoe2 hitori DSCF1066今日は、「県の蝶・ミドリシジミを見る集い」に参加しました。場所はさいたま市秋が瀬公園です。食草は湿地や水田に多いハンノキです。秋が瀬公園はハンノキが群生していて、多くのミドリシジミがいます。

美しいゼフィルスで、体長は小さいですが、雄はきれいなエメナルドグリーンに輝いています。中学生のころ、ここが公園となる前に捕獲したことがありますが、今でもこのように多く個体が見られるとは思いませんでした。自然公園としての保存の努力、生物を守る努力のおかげです。

わかったことはつぎのようなことです。

①6月15日前後からの羽化(成虫になる)が、最近は温暖化で6月1日前後と早まっている。

②たくさん見られるのは、夕方の18時前後である。雄同士が自分の縄張りを守るために、争いながらぐるぐる回って飛んでいる。2頭から数頭が乱舞する。ただし、梢の上なので、色などは識別しにくい。この乱舞を「まんじともえ」という。相手の目を見ながら回っている。

③秋が瀬公園は、ミドリシジミの宝庫である。芝生が広がる空間もあるが、手つかずの林も保存されている。まだまだ県内には生息地がある。見沼にもまだ生息。ただし、同じハンノキが多いところでも姿を消した所も多く、今後、私たちが守っていく必要がある。

④ミドリシジミの雌はA型、B型、O型、AB型があるが、いじれも褐色が主でブルーの部分があったりする。

⑤ミドリシジミの卵はハンノキの幹に生みつけられる。とても小さい。もうすでに産卵が始まっていた。

⑥秋が瀬公園には、様々な昆虫、鳥などが生息している。フクロウもいる。

今日は、県昆虫談話会の皆さんを中心に多くのことを解説していただき、実地に学ぶことができました。豊富な知識と熱意に驚きました。身の回り、とりあえず川口市の近くを中心に観察していきたいです。

埼玉昆虫談話会のHP

 

6月13日(月)ゴマダラチョウ(5月19日ブログ)への追記

川口市戸塚中台公園にて、ゴマダラチョウらしきものを発見。「でもふだん見ているゴマダラとは色が違う。もしかしたら、南方種のアカボシゴマダラではないか?」という記事を書きましたが、栃木県足利市による調査結果がでていましたので紹介します。Yahooニュースからです。

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やはり地球温暖化が原因なのでしょうか。

6月2日(木)興禅院とアジサイ

川口市安行領家にある興禅院のアジサイが見頃をむかえています。変わったアジサイもあり、その種類の多さに驚きました。

興禅院は、1546年に建てられたという曹洞宗のお寺です。シャクナゲ、花菖蒲、紫陽花、紅葉などが素敵です。また、奥に行くと、斜面林が連なり、自然がいっぱい。斜面を下ると、弁財天があり、台地からわき出る水が神秘的です。また、墓地の方に行くと、関東郡代伊奈氏の重臣の墓もあります。すぐ脇には、見事なスダジイの大木がありました。

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5月21日(土)戸塚城ー戸塚安行駅を見下ろす場所に城があった!

1.どこにあったか?

戸塚安行駅北東側すぐの台地部にあった。ここは大宮台地の鳩ヶ谷支台が細長く突き出した部分で、遠く筑波山をも見渡せる場所。下の地図を参照。緑の空堀に囲まれた部分が城。西側は家臣の家があったと思われる。いずれも台地部にある。現在の戸塚安行駅や戸塚スポーツセンターを見下ろすような位置。弥生時代の遺跡も数多く発見されてい場所。

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2.誰がつくったか?

小宮山弾正忠孝という人。忍城主成田氏がつくらせた出城か。小宮山弾正の祖父は太田道灌の親戚。また長男は松平家の養子となり、松平信綱として出世したという。信綱は、老中として活躍した有名な人物。のちに川越城主になった。また「知恵伊豆」と呼ばれ、幕政に大いに貢献。3大将軍家光、4代家綱に仕え、島原の乱の鎮圧、明暦の大火の処理など、政治手腕は高く評価されていた。

※松平信綱に関しては、大久保久継の長男という説が有力。大久保は現在の伊奈町(小室陣屋)の伊奈忠次の配下であった。ちなみに、伊奈氏はこの後、川口市の赤山陣屋に引っ越す。(関東郡代)

3,いつごろか?

1560年、上杉謙信が関東に出兵したころに、小宮山弾正の名が見られるので、このころと思われる。1560年は織田信長が桶狭間の戦いでデビューを飾った年。

1590年に、豊臣秀吉が小田原城を攻め、北条氏を倒し、全国統一を達成。このころ戸塚城も廃城となったらしい。城としてはきわめて短命。

4.発掘調査

埼玉高速鉄道開通が決まり、駅に近く、開発整備が計画された。そこで、川口市遺跡調査会が中心となり、10回の本格調査を行う。平成14年の調査で空堀が発見される。その後も発見が進み、現地で行われた公開説明会に参加したことを思い出す。社会教育課の唐沢さん、金箱先生が説明されていた。今は、戸塚立山公園の斜面林に名残を残すが、面影はほとんどない。

(「続・埼玉の城址30選」などを参照)

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城資料Ⅰ

城資料Ⅱ

 

 

5月19日(木)ゴマダラチョウ

すぐ近くの戸塚中台公園に犬を連れて行ってみました。5月の強い日差しのもとで、大きめな白い蝶が舞っています。ゴマダラチョウかな?直感はそうでした。今日出会った数頭はいずれも白っぽい色です。図鑑に載っているゴマダラチョウは色がもっと濃く、斑点も異なります。(あわてて携帯で撮ったので、あまり写りはよくありません。)

そこでもう少し調べてみると、最近、アカボシゴマダラチョウの春型の一種が見られるようになったそうです。色は白っぽく、もともと日本には奄美大島以南に生息していた南方系の種類。それにしても似ているなあと思います。もし、そうだとしたら、地球温暖化と関係あるのでしょうか。

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こちらは他の方が撮影されたものですが、これと大変よく似ていました。

 

 

5月16日(月)

川口市安行吉蔵にある安行庵(中山様邸)を訪れました。沢山の種類のバラが咲き乱れるオープンガーデンです。個人のお宅とは思えない立派な庭園です。3000種類のバラと、季節の花々が咲いていて、楽しませてくれます。市民に開放して、無料で拝見させていただけます。何とトイレも案内されています。バラは手入れが大変とうかがっています。ご努力に頭が下がります。
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5月5日(木)川口市自然公園

今日はこどもの日。川口市自然公園に行ってみました。見沼低地にあり、湿地の自然を残した公園です。
周囲には、雑木林などの自然地が残っていることから、公園内にもカブトムシやクワガタが見られ、湿地には絶滅が心配されるメダカもたくさん泳いでいます。個人的にはアカホシゴマダラチョウに出会ってみたいです。

今日は家族連れで、子どもたちの元気に遊ぶ姿が見られました。ザイガニ取り。もうそこらにはいなくなってますね。

五月晴れ。抜けるような空。初夏の陽気。というか夏日。絶好のアウトドアの日でした。

またすぐ近くには東沼神社があります。差間の氏神様です。例年、初詣では甘酒を無料で振る舞ってくれます。今年はうちもお祓いをしていただいたのですが、巫女さんの舞もしてくれました。富士講もあります。地元では自慢の神社です。

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5月3日(火)見沼はどこに

連休の大渋滞の中、私は犬と300円ランチを屋外で楽しみました。場所は、見沼通船堀跡です。江戸時代の100年間の間、ここに見沼という水深1mから数mの沼がありました。関東郡代伊奈忠治がここに八丁堤をつくり、川をせき止めて農業用の溜池を作りました。

もともと、このあたりは低湿地で、昔から龍が住んでいるという伝説がありました。竜神伝説については後日紹介します。

1716年、徳川吉宗が8代将軍となり、享保の改革を行います。彼は新田開発に力を入れました。この見沼の地も新田開発の対象となりました。紀州から井沢弥惣兵衛(いざわやそべい)為永により大工事が行われました。八丁堤を切り、水を芝川へ排水します。そして、農業用水を60kmも離れた利根川から引いてきました。これが見沼代用水です。1727年から工事が始まり、翌年には工事が完了したというのが驚きです。

1731年、見沼代用水と芝川では、水位差が3mもあるため、運搬用の舟が通れるように、閘門式の運河を作りました。これが見沼代用水です。パナマ運河と同じようなやり方が150年前に行われていました。

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川口協同病院、川口北高校などが見える、ここをせき止めて見沼溜井が造られました。
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八丁堤はこの狭い幹線道路です。なぜ狭いかは、江戸時代の堤だからです。

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4月25日(月)川口芝長徳寺

川口市芝のある長徳寺に行きました。格式のある禅寺です。あたりは自然保存林にも指定され、緑が満載、木々や草花、蝶などの自然に包まれています。

長徳寺は1364年、臨済宗建長寺派の寺として建立されました。例の鎌倉の建長寺と大変関係の深い、由緒ある寺です。

徳川の世になっても栄え、特に、徳の高い住職、龍派禅珠(りゅうはぜんしゅ)の時に栄えました。彼の弟子で芝村の代官だったのが熊沢忠勝です。実は、彼の娘さんは隠れキリシタンとして処刑されようとしました。それを、幕府の高官とも交渉し、何とか許してもらうよう手配したのが龍派禅珠でした。

境内の阿弥陀如来座像(非公開)の胎内に、マリア観音と十字架が隠されてあったのが発見されたというのは有名な話です。

この季節は、青もみじが大変きれいでした。

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4月21日(木)幻の武州鉄道

川口市石神の交差点付近に、吉野家があるのをご存じでしょうか。

そのあたりに戦前、駅がありました。蓮田~岩槻~大門~神根を結ぶ「武州鉄道」の南端の神根駅です。

神根駅は、昭和12年(1937年)に延長され開業しました。鉄道会社は客を呼び込もうと、写真のような広告を配り、乗客を呼び込もうとしました。石神の女郎仏、五重塔のある西福寺、そして安行の植木などの川口北部の名所をPRしました。

計画では鳩ヶ谷を通り、川口駅(後には蕨駅)とつながるはずでした。しかし、深刻な経営不振と日中戦争の勃発により、昭和13年(1938年)に廃業となってしまいました。

もし、東北本線とつながっていたらと惜しまれます。

おりしも地下鉄南北線と埼玉高速鉄道が浦和美園まで開通しましたが、このような構想は以前からあったことになります。(2001年)

*写真は川口市立戸塚図書館のまとめた「戸塚ってどんなところ」から転用させていただきました。(T)